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【NEWS】川崎重工業の「8時間労働制」日本初採用から100年|採用の背景とは?

川崎造船所(現川崎重工業)が日本で初めて「8時間労働制」を採用してから今秋で100年になります。

今年の4月には「働き方改革関連法案」の一部が施行され、各企業で長時間の是正に向けた取り組みが進められています。

今では当たり前となっている8時間労働制ですが、採用の社会的背景はどのようなものだったのでしょうか。

本記事では、世界各国の働き方の変化と川崎重工業が「8時間労働制」を採用した社会的背景についてご紹介します。

【1】「8時間労働制」の発祥

日本やアメリカで「8時間労働制」が採用された発端は、18世紀半ばから19世紀にかけてイギリスで起こった産業革命にあります。

当時のイギリスでは労働時間が長ければ長いほど生産性が上がると考えられていました。

そのため、労働時間は1日14時間で、長いときでは16~18時間にのぼったと言われています。

しかし、労働者にとって14時間という労働時間は長すぎたため、健康問題や生産性の低下といった問題が勃発し、労働者が労働時間の短縮を訴える運動が起こります。

その結果、イギリス政府は1883年に9歳未満の児童の労働を禁止し、9歳から18歳未満の労働者の労働時間を週69時間以内に制限する「工場法」を制定しました。

その後、工場法は何度か改正され、1874年には「全労働者の月曜から金曜日までの労働時間は1日最大10時間」と定められました。

一方アメリカでは、1861年5月1日にニューヨークやシカゴ、ボストンといった都市で38万人以上の労働者が8時間労働制を求める大規模なストライキが起こります。

労働者による8時間労働制導入が要求される中、1919年に開催された国際労働機関の第1回総会で「1日8時間・週40時間」という労働制度が国際的労働基準として定められました。

日本では、1916年に施行された工場法を経て、1947年に8時間労働制が規定された労働基準法が施行されました。

厚生労働省は、労働基準法の社会的背景について以下のように説明しています。

社会的背景
戦前わが国の労働条件が劣悪なことは、国際的にも顕著なものでありました。
敗戦の結果荒廃に帰せるわが国の産業は、その負担力において著しく弱化していることは否めないものでありますが、政府としては、なお日本再建の重要な役割を担当する労働者に対して、国際的に是認されている基本労働条件を保障し、もって労働者の心からなる協力を期待することが、日本産業復興と国際社会の復帰を促進するゆえんであると信ずるものであります。

【2】川崎造船所の「8時間労働制」の採用背景

川崎重工の社史や兵庫労働基準連合会によると、川崎造船所が「8時間労働制」を採用した背景には、初代社長の松方幸次郎の働きがあります。

松方は東京大学予備門(現東京大学)からアメリカのラトガーズ大学、エール大学へ留学し、法学部にて博士号を取得し卒業。

1896年に、川崎造船所の初代社長に就任しました。

1918年、第1次世界大戦が終結すると、急激な反動不況が日本を襲い、物価が高騰、19年には全国各地で賃上げを求める労働争議が発生。

川崎造船所でも1919年9月15日、従業員が賃上げの嘆願書を提出し、18日には工場の全従業員がサボタージュ闘争に突入しました。

これを受け松方は27日「日給は従来の10時間分と同額のまま、就業時間を8時間に改正する」と発表し、争議はすぐに収束しました。

この発表は波紋を呼び、近接する神戸製鋼所や播磨造船所(現IHI)などもすぐに取り入れ、全国200社以上に広がったと言われています。

松方のように、自社の課題を解決するために労働環境を一変することは、現代の日本企業も考える必要があります。

以下の記事を参考にこれからの働き方について考えてみてはいかがでしょうか。

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